日本エス大会の映像視聴を!
人類愛善会の母体である大本の公式YouTubeチャンネルに、『【歴史映像】 第21回日本エスペラント大会(昭和8年11月 京都)』という動画があがっています。もうご覧になられたでしょうか。
昭和8(1933)年といえば、大本が2度目の弾圧を受けた第2次大本事件の2年前ですが、1929年から始まった世界恐慌の大混乱の真っただ中、日本は国際連盟から脱退し、小林多喜二氏の特高警察による拷問死に象徴されるように、思想や言論への弾圧が厳しくなっていった年でした。
一方ドイツでは、ナチスが政権を獲得し、ダッハウ強制収容所が運用を開始、ホロコーストが本格的に始まりつつありました。
その後、第2次世界大戦が勃発(1939年)、太平洋戦争突入(1941年)と歴史は進んでいきますが、エスペラント関連でいえば、1942年、ザメンホフ博士の末娘で優れたエスペラントの教育者、そしてホマラニスモの普及にも努めたリディア・ザメンホフ氏が、トレブリンカ強制収容所で38歳の若さで殺害されています。
現代の日本で暮らす私たちには想像もできないような時代を背景に、このエスペラント大会は開催されました。
映像には、日本エスペラント運動の父と称される小坂狷二氏による、出口王仁三郎人類愛善会初代総裁の「国と人の境を知らず天が下に 鳴り響くなりエスペラントの声」のお歌を紹介しながらのあいさつや、当時大本の海外宣教の第一線で活躍された西村光月氏のあいさつ。大会3日目にエスペラント大会の閉会式に引き続いて天恩郷で行われたEPA(エスペラント普及会)創立10周年記念行事の様子、その合間の野球などの催し物が映し出されています。
出口王仁三郎初代総裁が参加者と談笑される場面もありました。聞くところによると、出口王仁三郎初代総裁は、たくさんのエスペラントの単語をご存じだったそうです。
とても和気あいあいとした雰囲気が伝わってきますが、この時代、参加者の中には相当な覚悟で参加された方々もいらっしゃったのではないかと思いましたし、世界平和を実現したいという強い思いが感じられました。
最後にEPA創立10周年記念式典でごあいさつをされた出口日出麿人類愛善会三代総裁補のごあいさつ文の日本語訳が次のように映し出されていました。
「親愛なる皆さん、本日は全国各地から記念式典にようこそお越しくださいました。私たちエスペラント普及会(EPA)は、東方からの光を世に出すために創立された団体であります。創立からの10年は、その目的を達成するための準備の期間でありました。そして今、私たちは来る10年に何をしなければならないかを知らねばなりません。将来、私たちは東方からの光を世界中に届けることを、確信をもって、申し上げるものであります」
出口日出麿三代総裁補は、流暢にエスペラントで話されたそうです。
わずか11分の動画ですが、出口王仁三郎初代総裁のお歌と出口日出麿三代総裁補のごあいさつはもちろんのこと、参加者の放つ光と熱を頂き、あらためて愛善会の目標である恒久平和のためのエスペラント運動をさらに盛り上げていく必要を感じます。
皆さんもぜひご視聴いただき、ともにエスペラント運動を盛り上げていきましょう。来年2023年は、大本のエスペラント採用100周年です!
(人類愛善会「エスペラント」部会)