モンゴル滞在記4 of aizenkai

★モンゴルだより

その4 東南部の旅の巻 前編

山田 歌男

gandan.jpgガンダン寺院  モンゴルに滞在して2週間が過ぎ、ようやくモンゴルの生活にも慣れてきた。 モンゴルの本当のお正月は旧暦の旧正月であるが、お祭り好きのモンゴル人は、新暦のお正月もお祭り騒ぎで楽しんでいる。 街は酔っぱらったおじさんや騒いでいる若者たちで溢れている。

 さて今日は1月5日。そんな騒がしいお正月も過ぎて、街もやや落ち着きを取り戻してきたところだ。 お正月気分を覚まし、モンゴルセンターも文房具の贈呈活動を再開しなくてはならない。
今回はモンゴルの東南部をめざし、小学校2校へ文房具を贈呈する予定だ。 片道の距離は約900キロ。経済状態が恵まれている都市部より、文房具が不足しているへき地の小学校に 文房具を送り届けるため、このような長距離になってしまうのだ。

 今回の旅は、バギー事務局長、ETTのアンハー専務、アギー事務員、そしてバギ運転手と私の5名での出向である。 アギー事務員はETT社の会計担当で、今回はETT社総動員で贈呈活動に参加してくれている。

 今回の旅にあたって、ハラホリンのエルデネズー寺院の管長バーサンスレンさんが、 旅の安全を祈願するお経を早朝からあげてくれているという。実に有り難く頼もしい限りである。

(写真右)頼りになる車、三菱デリカ。

 登る朝日を見ながら車はウランバートルを出発する。 車両は前回同様三菱デリカ、悪路や雪道をものともしない実に頼りになる車である。 (日本では三菱の車はいろいろあったが、モンゴルでは実に高い評価を受けている。私も今回それを実感した。) まずはアンハー専務がハンドルを握り車を快調に走らせる。

 車はよく整備されたアスファルト道路を快調に走る。この道路は日本のODAで敷設された道路で、 ゼネコンの鴻池組が施工した道だ。バギー事務局長は、この鴻池組の現場監督の通訳を担当したことがあるという。 日本のODAも世界各地で人々の為に役立っているのを実感する。

(写真左)オボ。モンゴルの人々の信仰の対象である。

 途中、車を止め、道端にあるオボ(ケルン)に旅の安全をお願いする。見るとオボに松葉杖が置いてある。 「オボに祈りを捧げ、足が治った人が置いていくのですよ」とバギーさんが教えてくれる。

 大本と縁深い熊本の杖立温泉では、杖をついていた人が温泉の効能で足が癒え、杖を置いて(立てて)帰るという。 これと全く同じである。

 またバギーさんは「オボにお供えしてあるお供え物やお酒を盗む人がいますが、 その人には必ず災いが訪れるといいます。このオボは日本のシャーマニズム、自然崇拝、古神道の信仰と同じ形式です」と言う。 なるほど、オボには精霊が宿り人々を守っているのがたしかに感じられる。

 2時間ほど走ると大きな工業都市に着いた。バガノール市という炭坑の街だ。 モンゴルでは石炭が豊富にあり、ここでは露天掘りをしているという。あちらこちらにボタ山が見える。 ここから貨車またはトラックでウランバートルに向け石炭を運び出しているのだ。

 この炭坑の街を過ぎ、しばらく走ると舗装路は終わり大草原の道となった。運転はお馴染みのバギ運転手に交代し、 この平原を時速80キロで快調に車を飛ばす。

 果てしなく道は続く。

 昼過ぎにヘンティー県に着いた。ここはアギー事務員の故郷だ。アギーさんの友達である刑事さんに挨拶するため警察署に 立ち寄る。星4つの上級警察官の知人としばらく雑談を交わした後、車は目的地のスフバートル県を目指してひた走る。

 夕刻、やっと目的地のスフバートル県ムンフハン村に到着した。ここはアンハー専務・バギ運転手兄弟の生まれ故郷だ。 我々の到着を待ちかねたように文房具贈呈先の学校長が出迎えてくれる。この学校長の案内で今日の宿舎となる学生寄宿舎に荷物を降ろした。



 寄宿舎では、この村の国民会議議長(日本で言うと市議会議長)と学校長が接待に来てくれて、 我々に歓迎のウオッカを勧めてくれる。また寄宿舎の寮母さん達が夕食に包子(ボーズ・小龍包のこと)を蒸してくれた。 この包子は手作りで、各家庭によって味付けが違う。また県によっては牛・羊・馬・猪など中身のひき肉が違うのだ。 このスフバートル県は草原に多数のハーブが生えており、この県の家畜はそのハーブを食べているので特に肉の味が良いという。


(写真右) 寄宿舎での宴会は夜まで続く。

 皆さんの温かい歓迎に喜びウオッカをあおっていると旅の疲れもあるのだろうか、いつしか酔いが回って眠ってしまったようだ。 バギーさんたちにベッドに寝かせてもらう。迷惑をかけてしまったが、心地よく眠りについた。

 翌朝となりモンゴルの遅い夜明けが来た。少し二日酔いの頭で眼を覚ます。着替え・洗面を済ませると寮母さん達が包子 (小龍包)入りのスープを作ってくれた。美味しいスープだが、昨夜さんざん食べた小龍包である。 さすがに食べきれず残してしまった。

 モンゴルでは包子(小龍包)は主食みたいなもので、毎食食べても大丈夫という。 旧正月には各家庭で数百から数千個の包子を作り3日間客や親戚にもてなすという。 お客は訪ねた家すべてで包子を食べ続けるのだという。さすがに日本人は毎食包子を食べることは無理である。

 さて腹ごしらえも済んだところで、いよいよ文房具の贈呈である。
スーヘ学校長とガンホヤク国民会議議長の案内で小学校に向かう。議長は昨夜渡した人類愛善会バッチを早速付けてくれている。

 ここはアンハー専務とバギ運転手の出身校で、現在950名の在校生がいるという。 アンハー専務は小学生当時、この学校長に担任をしてもらい、よく悪さをして先生に殴られたそうである。 「先生の愛の鉄拳のお陰でアンハーは立派になったものだ」と皆に冷やかされている。

 早速、学長室で文房具贈呈の準備をする。学長と議長も手伝ってくれる。 ここでは4クラス約150人の子どもたちに文房具を贈呈することとなった。

(写真左)中央がスーヘ学校長。右がガンホヤク議長。



 子どもたちのクラスでは、議長が愛善会の旗を持ち、学校長が我々の紹介をしてくれる。 そして我々愛善会の説明が始まる。子どもたちは皆おとなしく聞いてくれている。 最後に「勉強頑張りますか」と聞くと「ザー(はい)」と答えてくれる。子どもたちの素直で純朴な態度に心が洗われるようだ。


(写真右)バギ運転手の娘さん。お父さんは照れていた。


 途中のクラスでは、バギ運転手の娘さんがいた。お父さんによく似たかわいい娘さんだ。 お父さんの運んでくれた文房具をもらって嬉しそうにしているのだ。お父さんは照れくさそうにしている。

 ここの教室では、人類愛善会も協力した「モンゴルに日本の学校の中古机・イスを贈るプロジェクト」で 贈呈された机・イスが並んでいる。 日本では学生に手荒く扱われ古くなった机・イスも、モンゴルでは大変喜ばれ大切に使われている。 捨てられかけた机・イスも第二の人生をモンゴルで有意義に送ることが出来て幸せそうである。

(写真左)日本から贈られた中古の机とイス。(写真右)子どもたちの真剣な踊り。


 文房具を配り終えると子どもたちが歌と踊りを披露してくれるという。 教室に入ると子どもたちがモンゴルの民族衣装を着て待ってくれている。席に着くと、子どもたちの歌と踊りが始まった。 モンゴルの民族舞踊だ。子どもたちの真剣な踊りの披露に我々は感激してこれを見つめる。  

 続いて、モンゴルの伝統楽器である馬頭琴の披露だ。日本では「スーホの白い馬」の物語で有名な楽器である。
この少年は、馬のいななきと走る様子を弾いてくれている。なかなかの腕前だ。


馬頭琴の披露。  
 続いて、かわいい女の子の踊りと歌が始まる。
 聞くところによると、 この女の子はアンハーの親戚の娘さんという。かわいらしい踊りと歌に我々の心も和む。  アンハーの親戚の娘さん。かわいらしい踊りだ。 。



 みんなスター顔負けで歌っている。

 今度は、少し大きな子どもたちの歌の披露が始まる。みんなスター気取りで堂々と歌っている。
将来この中からモンゴルの大スターが生まれることを期待したいものだ

 子どもたちの歌と踊りが済んだら学長室に戻り、皆で記念写真を撮影する。 学長からあらためて感謝の言葉が我々に伝えられ、子どもたちが作ったフエルト製の靴を記念品にいただく。

 学校長と議長からは「遠い日本から子どもたちの為に机・イス・文房具と様々な支援をしていただけることは本当にありがたいことです。 モンゴルと日本は本当に親密で近い国です。これを機会に私たちも愛善会の活動に協力したいと思っています。」と言って頂く。

 ありがたいことである。 この小学校にはノート900冊、鉛筆2160本分の文房具を贈呈し、配りきれない分は先生達にお願いすることにした。


 学長室での記念写真。

 贈呈活動も済んだところで、次の村に向かうことにする。が、その前に腹ごしらえということで、 バギ運転手の家に立ち寄り食事を頂くことにする。バギ運転手はウランバートルに単身赴任しており、 この村には奥さんと3人のお子さん、奥さんのご両親が暮らしている。子どもたちもお父さんが久しぶりに帰ってきてはしゃいでいる。 かわいらしい子どもたちの出迎えを受けると、昼食に馬肉と包子(小龍包)が出てくる。私のお皿には15個くらいの包子が盛ってある。 1個包子を食べてみる。うまい。中の肉汁が実にうまいのだ。しかしなぜか食が進まない。 当たり前である。昨日から3食続けて包子を食べているからである。バクバク包子を食べる仲間達の間で、 ただ包子を見つめるだけの私であった。

 バギ運転手のお子さん。長女・長男・次女である。本当にかわいらしい。

 ご馳走になってすっかり遅くなってしまった。昼食も済ませたのでいよいよ出発である。 ここから中国国境の村「ダリガンガ村」まで5時間ほどかかる。車は大雪原の道をひた走る。

 モンゴルは日本の国土の4倍の面積がある。首都ウランバートルはモンゴルのほぼ中央に位置していて、 国の西部は山脈が多く、東南部はなだらかな丘陵地帯が多い。東部には世界遺産のゴビ砂漠が広がっている。 車が走る東南部の草原は周囲に山は見えない。360度果てしなく地平線が続くだけの景色である。 日本では想像できない景色である。この広大な大平原を写真では十分に実感してもらえないのが残念だ。


 360度何もない大草原が続く。愛善会の旗が大平原の風になびく。


 途中の村で少し休憩をとる。村のはずれでは村人達が井戸水を汲んでいる。気温はマイナス20度だが、 地下水は凍っていない。凍土は地下2メートル程までで、ここでは地下5メートルの深さから水を汲み上げている。 田舎では水道設備がほとんど無い。貴重な水を汲むのは子どもたちの重要な仕事である。 各家庭では1日20~40リットルの水で生活している。この量で食事・手洗い・洗面・洗濯の全ての家事をしているのだ。 ここは井戸が村の近くにあるので幸せだが、水汲みに5~10キロ歩くことは普通のことのようだ。 汲み上げられた直後の井戸水は温かいが、しばらくすると凍ってしまった。


 村の井戸。貴重な水である。 地下5メートルから水を汲み上げている。


 大平原を2時間ほど走ると遊牧民に出会う。少し声を掛ける。彼はたくさんの馬をつれて歩いている。 100頭はいるだろうか。遊牧民は日の出前の暗いうちから草原に出て、日暮れまで馬を連れ歩き草を食べさせている。 マイナス20度の平原を10時間近くも歩いているのだ。私は30分が限界である。慣れとは言え驚くべき身体構造だ。
 彼は自分のゲルに寄って食事をして行かないかと我々を誘ってくれる。モンゴルの遊牧民たちは皆やさしい。 しかし時間が無いので遠慮して先を急ぐことにした。


 遊牧民の青年。右はバギ運転手。 遊牧民が連れている馬たち。100頭はいる。


(写真右)牛糞を集める遊牧民。

   ここで、草原に住む遊牧民の暖房について書いておこう。田舎のゲルの暖房は主にストーブで、燃料は薪、 石炭、牛糞などが使われている。とくに森林が無く石炭の産地から離れているゲルでは主に牛糞燃料が使われる。 日本では牛糞は臭くベタベタしたイメージがあるが、ここモンゴルは乾燥地でしかも寒いので、 牛糞特有の臭いも無くすぐに乾いて枯れ草を固めた団子のようになってしまう。 これをゲルの近くに積み上げて置いて燃料とするのである。家畜の糞は草原の草の肥料となり燃料にもなる大変便利なものだ。 石炭は燃やすと有害な煙を出すが、牛糞はその心配がない。まさしくこれはエコライフである。 この牛糞を燃やすと干し草を焼いたような少し甘いお香の臭いがする。全然嫌な臭いではない。
 モンゴルの男達はこの臭いの中で育っているので、この臭いをかぐと胸が熱くなるのだと言う。

 途中で、エンジントラブルを起こし停まっているロシア製トラックと出会う。 荷台には毛皮が満載されている。3人の男と1人の婦人が心配そうに修理の様子を見ている。 バギ運転手が声をかける。このトラックはトランスミッションが故障し、いま分解修理の最中だという。 向こうの運転手は「大丈夫、部品もあるし直せる」と言っているので、そのまま車を進めることにする。 バギーさんは「あの調子じゃあ夜中までかかるな。大変だ」と言っている。 我々とは方向が違うし車の大きさが全然違うので牽引も絶対に無理だ。外はマイナス20度、 早く修理できることを祈ってあげるしかない。



 日暮れ前にダリガンガ村に到着する。この村には「金の山」という聖なる山があるという。 高低差100m程の小高い山だ。山の姿は本宮山に似ている。この山に登り沈む太陽を拝むことにする。 8合目までは車で登り、山頂までの数十メートルを歩く。外気温はマイナス20度以下になっただろうか。 車を降りると寒気が肌を刺すように感じられる。完全防備で山頂を目指す。


 頂上に宝塔が見える。

 頂上に着くとオボと宝塔がある。オボの周りを回り礼拝をする。大雪原に沈む夕日が美しい。 山頂は激しい風が吹いており寒さが一段と感じられる。写真を撮ろうと手袋を外した手は1分で動かなくなってしまう。 デジカメのIXYも寒さで動かなくなってしまった。記念写真を終えると早々に引き上げることにした。



 大雪原に沈む夕日。
 このあとカメラは寒さで機能が停止した。

 寒さから逃げるように下山していると、バギーさんが「あぁー、山田さん、耳が大変だよ」と言っている。 私の左耳が真っ白になっているというのだ。バギーさんが「早く雪で洗わなきゃ」と大騒ぎしている。 しかし自分では耳は痛くもかゆくもない。冗談を言っているのかと思っていると、アンハーさんまで「早く雪で洗おう」と言い出す。
 冗談かと疑いながらも皆に雪で耳をゴシゴシ洗ってもらう。「少し耳に赤みが出てきたよ。もう大丈夫」とアンハーさんが言う。 自分では全然わからないが耳が凍傷になり真っ白になっていたようである。このまま放置すると耳が2~3倍に腫れ上がり、 皮がむけ膿みが滴るのだという。モンゴルでは凍傷を防ぐには雪でゴシゴシ洗って血液を循環させるのだという。 バギーさんたちの子どものころにはよく耳や顔が白くなり、その度に雪を探し回って洗ったという。

 危なかった。あやうく私もマギー審司のギャグのように「耳がこんなになっちゃいました」になるところであった。 村のホテルに着いて鏡を見るとたしかに耳が赤く腫れ熱を持っている。バギーさんたちは「よかったねー。これだけで済んで」と 言っている。凍傷で耳が腫れたのか、雪で洗ったから腫れたのか、いまだにはっきりしないが、とりあえず友人達に感謝しておこう。 (バギーさんたちは真っ白になった耳の写真を撮れば良かったと残念がっている)

 ホテルでは夕食に肉入り野菜スープを頂ォ身体を暖める。そして早々に寝ることにする。 明日は60キロ離れた場所にあるもう一つの「聖なる山」に登り、朝日のご来光を拝むのだという。 起床は午前4時の予定。寝坊しないように早めにベッドに潜り込む。
(つづく)

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