モンゴル滞在記3 of aizenkai

★モンゴルだより

その3 草原の夜明け

山田 歌男

ett.jpgモンゴル愛善センター(2階部分)とETT社(1階部分)  寄宿舎に朝が来た。文房具贈呈の旅の3日目である。

 寄宿舎の起床は午前8時。日の出前に学生達が起き出す。着替えを済ませたころ、先生が洗面所へ案内してくれる。 すでに学生たちが顔を洗っている。洗面所には水道は無く、ドラム缶に汲まれた水をつり下げたバケツに入れ、そこから樋で洗面台に水を流している。 ちょうど流しそうめんの樋の下に簡単な蛇口が付いている構造だ。学生達が流してくれる冷たい水で歯磨き・洗面をさっさと済ます。 すると先生と学生が「もう終わったのか」という顔つきで私を見る。学生たちをよく見ると石けんで顔、手、腕、首、髪の毛までゴシゴシ洗っている。 「ははぁ、これはお風呂の代わりだな」と思ったが、水が冷たいのでそこまで洗うことはやめておく。あとでバギーさんに聞くと 「朝の洗面は、子どもたちへのしつけで、特に念入りに洗うよう指導されています」といっている。私のせいで日本人は不潔な民族だと思われたら申し訳ないことである。

 寄宿舎の朝
 洗面を終えると、朝のトイレだ。トイレは屋外の木造の小屋である。あまりにも簡単な構造なので、詳細の説明は控えておく。 おもに女の子達が小屋を使っているので、私は少し離れた草原で男子学生と並んで失敬する。

 荷造りを終え、寄宿舎を出る。ふたたび昨夜の親父さんのところで朝食をご馳走になる。  乳茶で一息ついていると、昨日の親父さんがまたまたウォッカを勧めてくる。そうこうしている間に、親父さんの友達が訪ねてきて一緒に飲み始めた。 親父さんと友達の会話を聞いてバギーさんが大笑いしている。 「山田さん、面白いこと言ってるよ。日本の田舎と親父と同じでしょう」と会話を教えてくれる。

(二人の会話)
親父「おめぇ、昨日はちゃんと家に帰ったか」
友人「何いってんだ。お前なんかに会っちゃいねえよ」
親父「お前こそ何言ってんだ。昨晩一緒に飲んだじゃねえか」
友人「そうか。昨日はどうやって帰ったか覚えちゃいねえわ」
親父「もう、どうでもいいことだ。まぁ一杯やれ」
どこの田舎に行っても、同じような光景を見る。誠にのどかである。

写真右/親父さんの飲み友達。ナイキの帽子が似合う。 親父さんと孫。丸々と太っていてかわいい。


 親父さん達が飲んでいると、息子夫婦が孫を連れて入ってきた。親父さんが孫をかわいがり、ほおずりをするが赤ちゃんはヒゲを嫌がっているようだ(笑い)。 赤ちゃんが家族の人気者であるのは、どの国も変わらない。


 あまり朝から飲んでばかりもいられない。仕事をしなくてはいけない。早速、小学校に向かうことにする。バギ運転手が凍り付いた車を始動させる。 マイナス20度では車の始動も大変だ。下手をしたらバッテリーがあがってしまう。夜の間は車が凍結しないように布でラッピングしておく。面白い光景だ。

中身は車です。車内の飲み物は完全に凍っている。


 オルホニウンダラ小学校に到着した。この小学校には1260人の子どもたちがいるという。 昨日、寄宿舎でお会いした学校長バトバヤルさんの出迎えを受ける。

ホールに集まった子どもたち


 バギーさんが「昨日、この学校長が酔っぱらって、日本語ペラペラしゃべっていたでしょう。 それが恥ずかしい、すまないと言ってるよ」 と教えてくれる。実はこの校長先生はモンゴルの大学で日本語を学んだことがあるという親日家だ。

 さて、早速に文房具を下ろしにかかるが、ノート・鉛筆がそれぞれ2箱しかなく、子どもたちに渡すには数が全然足りないのだ。 学校長と相談して、文房具は後で優秀な生徒へのご褒美として配られることとなった。子どもたちがたくさん集まってくれたのに本当に申し訳ないことである。 いつものように人類愛善会モンゴルセンターの活動を紹介し、学校長に文房具の引き渡し式を行った。


 学校を出ると待ちかまえたように子どもたちが我々を取り囲む。子どもたちをデジカメで写しその画像を見せると、私も私もと、またたくうちに大勢に取り囲まれてしまった。





(写真右)バトバヤル学校長 40歳である

 学校長のバトバヤルさんが自宅に招待してくれた。昼ご飯を食べていけと言うのだ。有り難くお世話になることにしよう。
 さぁ、食事も頂いたし、文房具が全て無くなってしまったのでウランバートルに帰ることにする。今度来るときは車2台で文房具を満載して来ることにしよう。


 ここから、数時間の所にハラホリンという町がある。モンゴルの昔の首都カラコルムのことだ。ここにエルデニズー寺院という立派な寺院があり、 ユネスコ世界遺産に登録されている。日本で言うと「京都清水寺」か「奈良東大寺」といったところだ。
 その寺院の管長さんバーサンスレンさんは、2004年11月に大本を訪問し大本開祖大祭に参拝されている。せっかくなのでここに立ち寄り挨拶することにする。

 車は、再び大平原を疾走する。
 途中の道端に、13世紀頃の将軍たちの墳墓があった。石造りの石棺が草原に点在している。これはすごい遺跡だ。 モンゴルでは祟りが怖くて墓荒らしなどはしないそうだ。いまも将軍たちと数々の装飾品がこの中で静かに眠っているのである。



写真右/ モンゴルのグランドキャニオン。遙か山は火山。

 途中、モンゴルの火山地帯を通る。モンゴルにも火山があり温泉が湧いている。モンゴルの人々も温泉に行くそうだが、 水着を着用して入らなければならない。温泉を楽しむというより病気療養で行くことが多いという。「日本の温泉では水着はつけないよ。 裸だよ。田舎の温泉では男女混浴だよ」と教えてあげると、ガンオルチさんの奥さんは「私は絶対に遠慮しておくわ」と驚いている。

 ここの火山は、見たところ休火山のようだ。噴煙は上がっていない。しかし火山が造ったと思われる山と地形が見られる。 一度モンゴルの温泉にも入ってみたいものである。

写真下/右からバギーさん、バギ運転手
 ハラホリンにあと10キロまで近づいた。すると幼い姉妹が道端を歩いている。バギーさんが声を掛けこの姉妹を車に乗せる。 この姉妹は学校から家に帰る途中であるという。この大草原を毎日10キロ以上も歩いて学校に通っているという。 モンゴルでは10~30キロの通学距離はよくあることで、道行く車が子どもたちを車に乗せ送ってあげるのだ。 それにしてもこんな幼い姉妹が毎日よく歩いているものである。日本で同じように車に乗せたら誘拐犯と間違えられてしまうに違いない。




  幼い姉妹。緊張しているのか笑顔はない。

 ハラホリンにやっと着いた。先ほど乗せた姉妹を降ろすと、家に向かって歩いていった。 これから家までどのくらいの距離があるのだろうか。姉妹にとっては慣れた通学路だろうが、私は心配でならない。


寺院の門
 エルデニズー寺院では、バーサンスレン管長の出迎えを受ける。
管長は2004年11月に大本を訪問し、大本開祖大祭に参拝されている。私とは1年ぶりの再会である。 笑顔で握手を交わし再会を喜ぶ。早速、管長が寺院内を案内して下さる。

 ここはモンゴル帝国の古都カラコロムがあった場所である。カラコロムとは「黒い砂地」という意味で、 モンゴル帝国の2代皇帝オゴデイが1235年に建設した都市である。5代皇帝フビライの時代に大都(北京)に遷都したために、 以後ここは衰退したといわれる。

四方の外壁と宝塔
 その後この地には、部族長アダイハーンがダライラマ3世に拝謁して、 1586年にエルデニズー寺院を建立した。寺院は中国とソ連によって2度にわたり弾圧され破壊されたが、 四方の外壁とゴルバンゾー(三寺)、ソボルガン塔、ラブラン寺などが再建されて残っている。 最近、この寺院はユネスコ世界遺産として登録をされたという。




内部の寺院 過去に破壊され寺院は少ない

 続いて、バーサンスレン管長(写真左)は、現在建設中の僧侶養成学校へと案内してくれた。


 管長は、現在、自らの手で僧侶養成学校を建設している。これは近隣の村や県の孤児また貧困家庭の子どもたちを預かり立派な僧侶に養成する学校であるという。 いわば社会福祉養護学校的な性格を持つ学校である。僧侶学校といっても小中高校の普通義務教育課程は全て教え、ここを卒業した者は国が認める義務教育修了証が与えられという。

 管長は「昔の僧侶はお経の勉強だけをすれば良かったが、これからの僧侶は学問と社会の常識、国際的知識も身につけなければならない」と語っている。

 学校は木造2階建てで、1階に3つの教室と食堂・ホールがあり2階は寮となっている。 全寮制で40人の子どもたちがここで勉強し生活するという。

 管長は 「子どもが家から通うと、家ではテレビを見る、お肉を食べるなど、修業を妨げるものが多いので全寮制にしました」と語る。 この学校はエルデネズー寺院から約1キロ離れたところにあり、寺院が世界遺産のため寺院内に建設できないのだという。 しかしその距離が、観光客の騒々しさから子どもたちを離し、落ち着いて修業と勉強ができる環境ができたと管長は満足している。

 また「僧侶はお金に関心を持ってはいけない。外国の観光客が置いてゆくモンゴルにすれば多額の浄財も、幼い子どもたちにはあまり見せたくないのです」と話している。 この若き管長は高い理想を持っている方だ。


 学校の建設資金は管長自らが集めており、いろいろな苦心して資金集めに奔走しているという。

 管長は「私は僧侶として本当は世俗から離れ修業を積む身ではありますが、子どもたちを立派に育てるこの事業もやりとげなければならない。 僧侶として建設資金のことを考えるのは大変苦しいことです。」と、自らの修業と事業との両立で葛藤されている胸の内を語ってくれた。

 私たちが立ち寄ったときには、ちょうど消防署から消防車がやってきて、学校のタンクに水を給水していた。村をあげてこの学校を支援しているようである。

 見学を終えると、子どもたちがやって来た。僧侶の「たまごたち」である。修業を積んで立派な僧侶になってもらいたいものである。

(写真左)僧侶のたまごたち 右端:筆者    (写真右)学校の全景 手前のゲルは仮校舎である



 (写真左)建設中の内部、(写真右)学校の玄関

(写真左)建設中の食堂   写真右)消防車の給水。レトロな車である。


 管長から夕食をごちそうになった後、ハラホリンを離れウランバートルに帰ることにする。

 時計は午後5時を回った。ここからウランバートルまで約450キロの道程だ。

 車に乗り込もうとすると後輪タイヤの空気が半分抜けているのに気が付いた。パンクだ。小さな釘でも刺さったのだろう。 バギ運転手は町の修理工場で空気を補充しただけで平気で走り始める。私が心配しているとバギーさんが「大丈夫、空気が抜けるまでに ウランバートルに着くと運転手が言っている」と言う。バギ運転手はそんなパンクも気にせず時速80キロで草原をぶっ飛ばす。

 車内の窓ガラスは、フロントガラス以外は全面内側が凍り付いて何も見えない。運転と命をバギ運転手に託して眠りにつく。
 午後11時頃にウランバートルに到着する。ガンオルチ夫妻を送ったあと、滞在先のアパートに到着した。



 2泊3日、全行程が約1200キロもある大変な旅であったが、実に充実した旅であった。
旅で出会った人たちとの思い出が、疲れた身体を癒してくれるようだ。
(12/25終わり)






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