ノモンハン2 of aizenkai

★モンゴル・ノモンハン紀行
「ハルハ河東岸・往復2千キロ草原の道」(その2)

その2 「故郷・ムンフハーン村」


山崎 光男

 アンハーは筑波大学に一年留学したことがあった。子どものころは、今も道案内に同行している父親のバリタさんを日本製バイクの後ろに乗せて、草原に生息しているガゼルの群れを追ったという。まだ、小学生のときだった。父親はガゼル狩猟の名手だった。アンハー少年のバイクは、ときたま、草原の穴に突っ込み、銃を構えた父親を空中に投げ出してしまった。父親にひどく叱られたという。祖母は80歳ぐらいになるが、近くの草原でゲル生活をしていた。

 私は弟のエンヘに案内されゲルの中に入った。ベットと釜戸が主な備品だった。傍らの小さな本箱にはアンハーたち3人兄弟の写真が飾ってあった。エンヘが兄たちの写真を紹介してくれた。きっと、仲のよい兄弟であったにちがいない。一家に歳の離れた末っ子の女の子が誕生したときは3人で取り合いになったという。その後、3人兄弟の間に変化が生じてきたという。男兄弟しか知らない私には、どういう変化か知るよしもない。「そうか、こんな大草原が、この人たちの故郷だったのか」。私は一人感慨に耽った。「東京に育った私には想像もできない懐かしさだろうな」と思った。

 遊牧民は、このゲルの中で厳しい冬場を越す。家畜とともに自給自足生活だ。現代はともかく、貨幣を蓄える必要がない。生活が自然のサイクルの中で完結していた。これに比して私たちの生活は、際限のない資産の増殖や競争に励む自由主義・資本主義経済となっている。貨幣は本来の役割を超えて際限のない蓄財への欲望の対象となった。富めるものと富まざるものとの間には歴然と差別が生じた。区別と言い換えてもよい。資本主義とはそういうものだ。善でもなければ悪でもない。核エネルギーを生み出した自然科学と同じだ。肝心なことは利用の仕方であろう。だから聡明な知恵が必要だ。現代は野放しだから始末に負えなくなっている。愛とか善といった倫理感に裏うちされた宗教や哲学の影響力が必要なのだ。

 今日の世界経済はグローバル化して市場・マーケット(人々の思惑と欲望)が人々の生活や国家の方針を左右するようになってしまった。モンゴルも例外ではなくなった。市場は、この国の豊かな資源に目を付け始めた。もう地球の限界である。オゾン層の破壊によって有害紫外線の影響が出始めている。永久凍土が溶け始めている。「金は滅びのもとである」という警告が、この国では現実のものとなっている。

 今こそ、人類は地球全体を一つのゲルと見なすような大思想・大哲学を必要としている。もう手遅れかもしれないが、気づいた人々から行動を起こすしかないだろう。


「一夜明けて」


 早朝、ムンハーン村を出発しバロンウルト市に到着した。モンゴルの英雄スツバートル将軍の像が立っていた。モンゴル独立の父であった。ようやく携帯電話が使えるようになったのでメールを出してみると、確かにセンターから応答があった。草原は相変わらず海のように果てしなかった。行けども行けども360度の地平線が後退していくだけだった。時折、ガゼルの群れが車の前を横切った。時速60キロは軽く出ていた。コンドルやワシなども飛来した。

 私たちはモンゴルの東側3分の1を中国国境ノモンハンに向かって走っていた。1千キロあった。このような場所が他にあるのだろうか。ガイドブックには不毛の草原と記してある。確かに遊牧は行われていなかった。理由をアンハーに聞いてみた。遮るものが何もない場所では風が強く越冬することが難しいと言った。夏場だけ遊牧しても、家畜たちはちりじりばらばらになってしまうのだという。どこかに姿を消してしまうのだ。
 丘陵地帯ならば、どこかの谷あいなどにかたまっているので集めやすい。草があれば遊牧ができるというわけではなかった。道は草原の中で幾筋にも分岐していた。それをバリタさんは正確に判断した。

 15、6時間走ったろうか。今日中にノモンハンのスンベリ村に到着するのは無理と判断したアンハーは、夕闇に包まれる前にキャンプすることを決めた。座席から降りるとき尻がうっ血しているのか、かなり痛みを感じた。全員がフラフラの足で3つのテントを張った。炊事係のボロルさんが夕食の準備に入った。手際よかった。ジーットしていると蚊の大群がやってきた。汗とホコリの衣服を通して体中べったりと張り付いていた。うっかりしゃがんだりすればズボンが張って、蚊の針が皮膚を突き刺すのだ。

 それでも、最長老のAさんは長年の念願が適ったのかご機嫌がよかった。23歳のときノモンハン方面に将校として配属されたという。当時を思い出したのか正調博多節を歌いだした。アンハーの父バリタさんもモンゴルの歌を歌った。すばらしい歌声であった。コンクールで何度も優勝したそうだ。Aさんはバリタさんを息子のように思えたらしい。バリタさんの父親はノモンハンで日本軍と戦った人である。

 ある資料によれば、日本軍の死傷者約17,000、ロシア軍25,000、モンゴル軍5,000とあった。正確なことは知る由もないが合わせて5万近い将兵が犠牲となった。国境紛争の原因となったハルハ側上空では600機の空中戦が繰り広げられ、歴史的にも最大級のものであった。事件と称するには無理がある。やはりハルハ河戦争と言うべきだろう。



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