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”大本神戸本苑月次祭でのビル・ロバーツ氏のスピーチ 2007.2.11 ”

『存在するのはただ人間の涙、人間の喜び』


 去る2月11日(日)、大本神戸本苑月次祭に、ビル・ロバーツ氏が取材を兼ねて参拝。
以下は、その挨拶文。

bill-kobe.jpgコンニチワ ビルロバーツデス ヨロシクオネガイシマス

 本日神戸本苑を訪問し月次祭に参拝出来ました事を嬉しく思います。私は2001年から大本の地方の神の家を訪問してまいりました。今まで、本苑、分苑、支部をいくつ訪問したかは記憶していませんが、15あるいはそれ以上である事は確かです。

 その主たる目的は私が執筆した「素顔の大本」の取材でした。ご存知のように、この本は1年前に天声社から出版されました。

 現在大本青年部の月刊誌「まつごころ」で毎月日本語訳が掲載されています。また人類愛善会のホームページでも同じ内容が掲載されています。

 ここでこの本を1冊神戸本苑に贈呈させて頂きます。英語の読めない方は写真をご覧頂きたいと思います。

 {本苑長、申し訳ありませんが、こちらに出てきていただけますか?}

 「素顔の大本」ともう1冊私が作った写真集を本苑に納めていただきたいと考えています。2005年の沓島現地参拝で実際に私が撮った写真集です。私は現地参拝をお許しいただいた最初の外国人である事を誇りに思っています。

 「素顔の大本」の第1章はすべて沓島について書いています。沓島について読んだ多くの米国人はその内容と写真に大きな関心を寄せました。

 本の執筆を終えた私がどうしてまだ神の家訪問を続けているのか、疑問に思う方もおられるでしょう?それには、いくつかの理由があり、地方機関を訪問し信徒の方々のお話を聞き写真を撮影しているのです。

 まず、改定版をいつでも出せる準備をすること。そして将来的に、大本を未信徒に紹介する写真集をエスペラント、英語、日本語の3カ国語の説明付きで出版したいと考えています。  

bill-kobe3.jpg大本神戸本苑月次祭  地方の神の家を訪問する事により私の大本についての理解が深められています。本の執筆が終了した後でも地方を訪問する度に常に新しい発見があります。

 神戸本苑には今までご縁がなく今回初めて参拝させていただきました。ついにチャンスが来たと思っています。私は神戸には特別な気持ちを持っています。その理由を今から説明させていただきます。

 私は1995年、この地を襲った大震災のことを知っています。そして、大本信徒の人は全国各地から食料、水などの救援物資を持って駆けつけました。

 私が初めて大本を訪れたのは1999年でした。当時、大本の奉仕者の人にとっても神戸の震災はまだ記憶に新しいものでした。震災の時の本部の活動を語ってくれる人やその時の写真を見せてくれる人もいました。

 これも大本が常に取り組んでいる素晴らしい活動の1例です。

 私自身も大きな地震の経験があります。

 1989年私はカルフォルニアのシリコンバレーで最も大きな日刊新聞 社であるサンノゼマーキュリーニュース社に勤めていました。シリコンバレーはニックネームです。すべての半導体企業がここに集中しているからです。市の名前はサンノゼでサンタクララ郡にあります。

 1989年10月17日、私はいつもより少し早く退社し家に車を走らせていました。その夜はサンフランシスコジャイアンツとオークラントアスレチックのワールドシリーズが予定されていたからです。 高速道路を家まで半分帰った時、私の車は突然自分の意思とは別に道からそれ始めました。強くハンドルを握りバランスを保たなかればなりませんでした。

 最初に頭に浮かんだのがパンク、それから強風、まもなくこれは大きな地震だと確信しました。

 急いで車を走らせ帰宅しました。幸いわが家の損傷はほとんどありませんでした。

 私はテレビやラジオをつけました。震源地半径100キロメートル以内の多くの場所で深刻な被害をもたらした大地震であることがすぐにわかりました。サンフランシスコの一部もその被害地に入っていました。

 その夜のワールドシリーズはキャンセルとなりおよそ10日間再開されませんでした。球場を調査し地震後でも構造的に使用可能かどうか調べられました。

 会社に電話して、取材について相談しました。結果、最も被害のひどかった所へ足を運ぶ事になりました。

 幹線道路は障害物で塞がれていました。しかし裏道ー丘を通った狭い蛇行した道がまだ通れるとの情報を得ました。その道を通って最も被害が激しかった町の1つへ入りました。フェルトンという町です。

 簡単に説明すれば、どうにかフェルトンにたどり着いた私は数時間現地の人達と話す事ができました。最初にどのように感じたのか? 失ったものは?これからどうしようとしているのか?等を取材しました。

 みんな余震を恐れていました。多くの人はその夜家で眠りませんでした。毛布や寝袋にあふれる一時避難キャンプが町の公園に現れたのでした。

 私が取材で最も強く感じた事は人々の精神的ショックです。道を歩く多くの人が目を大きく開きほとんど話が出来ない様子でした。深刻なトラウマ(心的外傷)を受けていました。

 多くのレポーターがそうするように、私は情報を集め公衆電話を探し、新聞社に自分のメモを読み上げました。当時は今のように携帯電話が普及していませんでした。

 フェルトン市が完全に都市機能を回復するのに少なくとも5年かかりましたが、人々の心の傷は決して癒える事はありませんでした。フェルトン市周辺にも同じような惨劇がありました。

santa-cruz.jpgサンタクルーズ/Photo by Ken Glaser, Jr. サンタクルーズの中心地域はリゾート地として人気がありますが、完全に破壊され、その再建には10年近くかかりました。

 私達の新聞社はこの地震の特集記事で素晴らしい評価を得ました。米国ジャーナリズムでもっとも栄誉ある賞、ピューリツァ賞をスタッフ全員で受賞しました。賞を頂いた事は名誉な事ですが、本当はこのような大きな地震がない事が一番良かったと思っています。

 私達の新聞社は評価の高い記事を書いただけでなく救援活動にも努力しました。わが社の巡回トラックの運転手は地震発生後新聞を配る時に水、食料、必需品も同時に配達したのでした。

 何年も前から、わが社のビジネスマネージャーは非常用エネルギー確保に努力していました。先見性があったと思います。常に緊急時に自分たちの仕事に必要とされる以上のエネルギーを確保していたのです。地震発生直後、他の会社にも供給することができました。

 1989年の地震は私の人生で記憶に残る出来事の1つとなりました。この時の出来事は決して忘れる事はありません。私が常にジョン・ケネディの暗殺をはっきりと覚えているのと同じです。また人が初めて月に第一歩をしるした時。911の同時多発テロなどと同じレベルの印象です。

 神戸の皆様も私が今話したことと同じような経験をされたと思います。

カルフォルニア地震も神戸の地震も震度は同じぐらいであったと記憶しています。神戸の死傷者がはるかに多いのは恐らく人口密集率の違いかもしれません。


 皆様は考えられた事がありますか? 自然災害は宗教の違いを選別しないということを。地震、津波、そして台風はすべての人を台無しにします。精神的信条がどうであれ。

 人間の気持ちも同じように働くのです。人生の痛みや喜びはいかなる宗教的境界線にも敬意を払いません。

 イスラム教徒は精神的痛みや苦しみをキリスト教徒、仏教徒、大本信者と同じように感じます。

 ユダヤ教徒の涙、ヒンズー教徒の涙、等存在しないのです。存在するのはただ人間の涙です。イスラム教徒の喜び、キリスト教徒の喜びは存在しません。存在するのはただ人間の喜びです。

 突き詰めれば我々は皆本当に類似しているのです。宗教的信条により我々が作ったいかなる障害も単に人工的であり我々自身が作りあげたものです。

 私は日本伝統文化への興味から大本にまいりました。特に陶芸に興味があります。私は1980年代に大本伝統夏季セミナーに参加した私の陶芸の先生であるコーリン・キーベルト女史のお導きで大本を知る事になりました。

 ちなみにコーリンさんの自宅はサンタクルーズで1989年の地震で大きな被害を被りました。


 先程お話したように、私は芸術によって大本に引き寄せら黷ワした。しかし時がたち、執筆の過程において大本には芸術以外にも多くのものがあることを認識し始めました。

 私がしばしば話しているように、また私の本の中でも述べていますが、私は大本で最も好んでいるのは芸術への取り組みです。しかし私が大本で最も敬意を表すのは宗際対話への取り組みです。

 そして皆様の宗際対話への信念は単に口先のありきたりの発言ではありません。宗際対話への実際的取り組みを私自身自分の目で確かめることが何度かありました。このような比較的小さな教団の行動としては目を見張るものです。

 2002年大本が京都で主催された「祈りとフォーラム」では世界の宗教指導者が集まり考えを交換し共に祈る姿を目のあたりにしました。

 その祈りのフォーラムの数日後、会議の参加者の多くは綾部へ移動。開祖大祭とみろく殿での万国慰霊祭で祈られました。



bill-kobe5.jpgワシントンDCで開かれた平和と祈りの集会  私は大本が海外で他宗の宗教指導者と集う姿も目撃しました。

 昨年 2006年4月私は幸運にもワシントンDCで開かれた平和と祈りの集会に参加する機会を得ました。これはカトリック聖エジディオ共同体の主催で開かれました。

 エジディオ共同体の30年の歴史で初めて北アメリカで開かれた国際集会でした。

 私は大本の代表者がユダヤ教指導者と腕を組んで行進している姿を見ました。イスラムの指導者、カトリックの代表、ギリシャ正教の指導者、プロテスタントの指導者と共にジョージタウンの通りをパレードし、宗際対話の連帯を示す平和宣言に一人づつ調印していきました。

 日本の中でも大本が他の宗教ー仏教、神社神道、教派神道、キリスト教と協力して彼らが信じるプロジェクトに共に取り組む姿を見ました。例を二つあげれば死刑廃止への活動、環境保護についてなどです。



sikeihaisi.jpg死刑廃止問題のプログラム 私は2年前にここ神戸に来ました。大本が共催で死刑廃止問題のプログラムを開いた時でした。アメリカのカトリック修道女であるヘレン・プレジーン女史が死刑廃止に取り組む自身の活動を話しました。また米国在住の日本人写真家トシ・カザマ氏は死刑囚とその家族また犠牲者家族の写真を撮り続けています。この2人がその日の講演を行いました。

 私はまた様々な宗教の指導者を大本に招く努力も観察してきました。大祭や様々な大会のゲストスピーカーとして招待しています。カトリック、プロテスタント、ユダヤ、イスラムその他様々な宗教の人達です。

 王仁三郎聖師を始めとする多くの先駆者が、大本宗際活動をリードしてきました。最近、その指導者の一人が私達の元から去って行かれました。

 廣瀬静水氏は宗教間の活動の推進力でした。共に祈り、共に集う事の重要性を強く認識しておられました。

 執筆の為に私がインタビューした時、廣瀬氏はシナイ山での2度の宗際祭典について大きな喜びと共にお話くださいました。

 廣瀬氏の宗際活動における指導力は廣瀬氏の最も大きな大本での貢献の一つであり、とても惜しまれることだと思います。

 しかしその他の人々の中にも廣瀬氏同様に宗際対話を通して継続して平和の目的のため努力されている人がおられるし、またこれからも出てこられると確信しています。




bill-kobe4.jpg  大本は色彩豊かな歴史をもっています。悲劇もあり大成功もあります。

 皆様の精神的向上を目的とした伝統芸術への献身は重要であると思います。皆様の祭典は色彩があり深い感情を喚起します。

 しかし皆様が取り組まれている宗際活動と、皆様が世界に示している平和と寛容のメッセージは現代の混とんとした21世紀において限りなく必要とされていると思います。

 私達が住む混とんの世界において、大本信者は、宗教は善の力になると信じています。たとえ一度に一人の人間の心と気持ちを改心させる事しかできなくても。

 これは重要な理想であります。高貴な使命でもあります。

 キョウワ ワタシノハナシヲ オキキクダサリ アリガトウ ゴザイマシタ

(日本語訳 矢野裕巳)


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